2012年05月07日

日弁連会長決まる ~三度にわたる選挙戦の末~

(異例の三度にわたる選挙戦)
日弁連会長選挙が、三回にわたる選挙戦の末、ようやく決着した。
通常は、2月に次年度の会長を決定して引き継ぎの体制に入るため、
選挙の公示は1月上旬、投票は2月上旬である。
今年度も1月11日に公示された。
ただし、公示後の一か月の選挙戦は事実上終盤戦であり、
候補者の全国行脚など選挙準備活動は前年の秋には実際に始まっている。
その長い長い選挙戦が、4月27日にようやく決着したのであるが、
その経過を振り返ってみる。

当初の立候補者は、東京弁護士会所属、日弁連副会長、事務総長を歴任した山岸憲司氏、
第二弁護士会所属、やはり日弁連副会長を経験した尾崎純理氏、
司法改革に一貫して反対してきた第二東京弁護士会所属の森川文人氏、
それに会務の執行自体が選挙運動と有利な状況にあった現職の会長の宇都宮健児氏の4名。

2月10日の投票の結果、
最高得票の7964票を獲得した山岸候補が獲得した単位会は、
東弁、一弁、大阪、函館、茨城県、和歌山、徳島、長崎、釧路、新潟県、三重、大分の12会。
日弁連の選挙規定で、最高得票に加えて
18以上の単位会で最高得票をとることが当選の条件であり、
6会届かず、一位の山岸候補と二位の宇都宮候補の上位2名による再投票となった。
再投票は、2月23日公示、3月14日投票。
その結果、山岸候補が8558票で一位となるも、
獲得単位会は、第1回で勝利した12会のうち、釧路、新潟県、三重、大分県の4単位会を落とし、
連続勝利は、東京、一弁、大阪、函館、茨城県、和歌山、徳島、長崎県の8会のみ、
新たに、尾崎候補の取っていた二弁、
同候補の強かった旭川、香川、高知に、山口、宮崎県の6単位会であらたに勝利したものの、
第一回勝利した4単位会を落としたのが痛く、
結局山岸候補の勝利単位会は14にとどまってしまった。
4単位会を落としたのは、心の隙、
18単位会を阻止するための接戦選挙区での
対立候補の必死の選挙戦に敗北せざるを得なかった。
選挙は少しの心の隙でも手痛い敗北につながることを痛切に感じさせられた。
また浮動的に短期間に候補の間を移動する票も一定数あることを体感させられた。
このような票は全体から見れば少数ではあるものの、
実際の単位会の勝敗を決めるにあたっては決定的な役割を持つのである。
全体で20票動けば5~6単位会の勝敗が逆転することが実証されており、
このような少数者が結果としてキャスティングボードを握り、
そこに向けて選挙活動がある程度集約せざるを得ない状況は
あまり好ましいとは言えないことは明らかである。

日弁連の選挙規定では再投票でも同一の条件が課せられるため、
当選者が確定せず、今度は、立候補届からやり直す再選挙となった。
第三回戦である。この再選挙でも、
立候補者は再投票の時と同じ山岸対宇都宮の2名の対決。
今度の公示日の3月28日、公示3日後には、宇都宮会長の任期が切れ、
職務代行者として、新たな副会長らとともに日弁連会務の執行に当たるという
日弁連始まって以来の異常事態に陥った。
それも2度にわたる選挙で最高得票を取れなかった現職が
いわば選挙規定に助けられて1か月以上職務代行者として続投する状況である。

再選挙の投票日は4月27日。
なお、新たに同点の静岡、広島などでの勝利を目指す重点単位会とし、
いくつかの激戦区で一票を奪い合う激しい選挙が繰り広げられました。
その結果、山岸候補は、仙台、広島の中単位会での劇的勝利を含め、
19単位会を獲得し、当選を決めた。
5月9日に当選証書を得、荒事務総長とともにようやく日弁連の会務の執行につき、
日弁連の異常状態が解消された。

(選挙規定の改正の必要性)
三度にわたる選挙は、その期間の会務の執行からも好ましくない。
単位会の数である程度の制約を課すことは、規定上容認しうることではあるが、
少なくとも二度目の選挙では必ず当選者が確定し、
年度内に新会長が決まる制度になっていなければおかしいと考える。

これは今回の選挙を経験して、ほとんどすべての会員の総意であるだろう。
早速に選挙制度の見直しの議論を行う組織を立ち上げ、
二年後の選挙に向けて準備を開始する必要があると思う。

その際、日弁連総会の規定が各単位会に
個人の会員と別に一票を与えていることも参考になろう。

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