2003年07月07日

季刊 白い雲

今般、伊藤茂昭法律事務所開設以来発行してまいりました季刊「白い雲」を、事務所の合併を機に、弁護士伊藤茂昭 「個人版」として、継承することになりました。

「白い雲」は、昭和58(1983)年4月「伊藤茂昭法律事務所」の季刊紙として出発致しました。
それは、私が山本・泉法律事務所より独立し、新宿駅南口の17坪に事務所を構えた時です。事務所は17坪、事務員さんが二人、でも自分の名前の事務所ができる独立の喜びを感じ、おおいに張り切ったものです。
「白い雲」というタイトルは、私の同じ高校の同窓生の作家の「さかいともみ」さんが、命名して下さったものです。そのいわれは、創刊号の1面に寄せてくれた暖かみのある詩に表されています。
「星になったガラスの王子」「さよならの湖」「植村直己物語」「細川ガラシャ」などの名作を残した、心の優しい、山登りが好きな童話作家、今はなき、さかいともみさんは白い雲が歩き始める出発点でなくてはならない人でした。

記念すべき創刊号には、三人の方から祝辞を頂戴しました。
山本忠義先生、戸田修三先生、岡田徳太郎さんです。
山と先生は20年くらい前の日弁連会長です。私が勤務弁護士を3年務めた事務所のボスでもちろん法曹界の大先輩でした。今私が、弁護士会の活動に参加するようになったのは、この事務所に入ったことが、大きかったと思います。
戸田修三先生、中央大学の学長を務められ、私たち夫婦の媒酌人でした。私は戸田ゼミのゼミナリステン、妻の真理子は、他のゼミでしたが、戸田先生の弟子で既に法学部長も経験された、永井ゼミの合宿に参加しておりました。戸田先生、永井先生は私たちの今日あることの恩人です。
妻の真理子はその後事務所がかなり大きくなるまで、白い雲の編集を担当してくれました。
そして岡田徳太郎さん、私が三井ホームの顧問とさせて頂くことになった時の社長さんです。同じ荻窪に在住され、ばったり荻窪駅近くのルミネでお会いしたこともあります。その後いろいろな企業の仕事をさせて頂くことになった出発点は、三井不動産グループでした。
今も、これからも、法曹の先輩、家族の恩人、そして顧問会社、依頼者の皆さん、すべて私を人間として、法曹人として育ててくれた皆様方の御恩を忘れずに、少しでもお役に立てる仕事をしてまいりたいと思います

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