2011年12月25日

「クラシコ・イタリアーノ」をみて ~法律事務所を考える~

12月、宙組公演「クラシコ・イタリアーノ」をみた。
すでに退団を発表している大空祐飛と野々すみ花の主演コンビの作品である。
震災の年の東京最後の作品は、時代の転機にあって、人が生きることでの大切なものは何か、それをもう一度考えさせるテーマである。
そのテーマの一つは伝統の力、「Classico」-時を超えて残るもの-であり、
もうひとつは、「KIZUNA・絆」である。

長年の伝統によって親方から弟子へと承継された職人の技術によって、一人ひとりのお得意様の顔を思い浮かべながら作られた、「ナポリ仕立ての洋服」。対極にある技術革新と大量消費時代の不特定多数を相手に作られた商品。
後者は、より多くの人々に経済成長による富の成果を届け、暮らしを豊かにするとともに、一方で何か大切なものを失わせていないか。
そんな問いかけだ。
祐飛演ずる主人公は、貧しい身寄りのない少年で、有能な職人へ弟子入りするところから出発し、有能な事業家としてイタリアのブランドを持ってアメリカ進出を果たさんとする。しかし、その事業は人に譲り、自らは、ナポリに戻る。町のテーラーとして。

いろいろな話が、頭に浮かぶ。
たとえば、昔からおいしいと言われた新潟のお酒があった。
だんだん有名になって、お客が買うにもなかなか手に入りにくくなった。
いつのころからか、味が落ちたという評が立つようになった。
その造り酒屋は売れることをいいことに、別の酒屋の樽を買ってそれを自らのつくった酒として売ったのが原因だった。
また、有名なシェフがいた。繁盛するのであちこちに店を出した。
しかし本人がすべての店を見て回ることはできない。やはり、味が落ちたと評判になった。

私の事務所は弁護士が100人を超える法律事務所である。
弁護士の仕事は、職人の、個人的な、大量生産には向かないサービスである。
マクドナルドや、スターバックスのマニュアルのようにはもともといかない仕事なのだ。
しかし、風邪や切り傷をみるホームドクターが必要な一方、最先端の心臓手術の技術を擁する総合・専門病院が必要なように、ホームロイヤーとともに、ローファームが社会から必要とされていることもまた事実である。その有用性において優劣などあり得ない。
しかし、弁護士という仕事の性格上、どんなに大きくなっても、依頼者との関係は、ハンドメイドの感覚のある法的サービスの提供であることを心がけていきたい。
大規模案件は、ローファームでなければ処理できないが、そのスケールメリットだけではなく、常にデメリットを最小化する努力を継続的に怠りなく、血の通った法律事務所であり続けられるよう、決意を新たにする。それがクラシコ・イタリアーノの観劇後の私の気持ちでした。
事務所の若い弁護士にこのような気持ちを受け継がせていきたい。絆を大切に。そんな気持ちです。
また将来、小さな事務所で、私を頼って来られる方のホームロイヤーとして老後の何年間を送るということも悪くはないな。そんなこともちらっと頭をよぎった観劇後でした。
クラシコ・イタリアーノ。この作品に感謝!!

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