2012年03月13日

ふるさとから夢を持って巣立つ

私の母校の新潟県立高田高校では「未来展望セミナー」という企画を5年前から実施している。この企画は社会のいろいろな分野に進んだ先輩卒業生が在学生に対し、これからの進路の決定や職業の選択に参考になること、あるいは挫折や困難をどのように乗り越えて生きてきたかなど、お話しし、質問を受けて対話をするという目的のもとに開催されているものである。
今年は3月12日に開催され、不肖私が、3人の講師のうちの熟年世代を代表する講師として、表題のテーマで高校1年生を相手に1時間ほど講演を行わせていただいた。

 当日は、私のほか50代の女性病院経営者の武谷典子さん、40代のIT関係の会社社長佐藤秀哉さんも講演を行い、講演後は、休憩をはさんで各分科会に分かれて質疑応答を行った。
 私は、医学部を目指した高校時代、医学部入学後法曹界への転身を図ったこと、司法試験時代、弁護士登録後の若手弁護士としての独立から日弁連での活動等、自分の来し方を振り返りながらお話しさせていただいた。
 質問は全員がペーパーで書いて提出された中から、在校生の代表が選択して質問をするのであるが、「なぜ医者になるのをやめたのですか」とか自身の転身について単刀直入に切り込んでくる質問や、裁判員制度に対する質問など幅広く話題が展開された。
心残りは、時間内で答えられなかったペーパーの中から垣間見られた質問である。
私の演題そのものの中にある「ふるさと」と「夢」とから、ある生徒が、『「ふるさと」で親の希望する職業につき将来「ふるさと」で親の世話をするということと「夢」をもってふるさとから出たいという気持ちと、この悩みをどう解決しますか』という質問である。
それには正解はない。でもそれを考える過程自体が成長であることは間違いないと思う。
そんな話をしたかったと思う。
 
私が、伝えたいメッセージ、
 好きな言葉「昨日よりは今日、今日よりは明日」
 “I am what I am”

さて、私は前日高田入りした。
新幹線の車窓から久しぶりにやや雲のかかる越後の冬の山脈を眺望した。

そして高田市街を流れる青田川と遠くの雪の山なみ

冬の高田城址の濠。春には桜真っ盛りとなる。
私は高校時代、南城町のこの濠の見える家に下宿していた。

講演開始前、講師として紹介を受ける。

会場の高校1年生

「自分は夢を持っているという人、手を挙げて!」

分科会で質問に答える
「裁判員に指名されたら嫌でもいかなければならないのですか?」

夜の懇親会
若山校長先生をはじめ、副校長、担当の先生方と。
高校時代の同級生の石田徹君も同席しました。
長く母校で教鞭をとられました。

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