2014年04月19日

心中・恋の大和路

青年館「心中・恋の大和路」を観る

壮一帆が主役忠兵衛を演ずる
近松門左衛門原作の「冥途の飛脚」の舞台化、
「心中・恋の大和路」を観る。

宝塚では7回目の公演という人気のある和物の代表作である。
壮の和物は、野々すみ花とのオグリなど印象深い作品があり、
忠兵衛もまたあたり役である。

あの世でしか結ばれないという、
運命の大和路は、現実世界の罪人(つみびと)となるか、
現実世界の追手から逃れ、
二人だけの意思によりあの世へと旅立てるかのせめぎあいである。
現実世界では、幕府に対して飛脚問屋の同業者団体の利益を守るため、
なんとしても二人を捕らえてお上に差しだそうと大和路まで追っ手を仕向ける。
二人は着の身着のままの逃避行である。
自らも被害者である丹波屋八右衛門が、忠兵衛と最後の友情から
二人があの世で結ばれる旅立ちをかなえさせるために
追っ手の前に立ちはだかる。
八右衛門を演ずる未涼亜希の歌も聞かせる。

観客は、「追っ手に捕まるな。」「生きている限り逃げてくれ」と、
そのはかない結末を想起しながらも、
涙ながらに祈るような気持ちで忠兵衛と梅川を見守るほかはない。
白い衣をまとっての最後の場面の壮と愛加のお芝居は十分に見応えがある。

と、ここで、あえて一言だけ言わせてもらえば、忠兵衛の元々の人間像である。
今回の壮の演技では演出がそうであるからか、
最初から遊び人風情の男として描かれているように映る。
これは私の感覚であるが、忠兵衛の封印破りは、
迷いに迷っても好きな女性のためには理性的にどうにもならないという人間の性の結果、
言い換えれば人間の弱さ、未熟さからくるものであって、
なんら確信犯的なものではない。

飛脚問屋の亀屋に養子として入ったときは、
その職責の重さにそれなりの決意もあったえであろう。
今でいえば、運送業に銀行の送金業務の請負のようなことを兼ねており、
大金を扱う業務なのである。
それが遊郭の梅川への思慕から堕ちて行かざるを得ない。
それは一途であるから言い換えれば不器用で真面目だからであって、
決して遊び人であるからではないというのが私の解釈である。

とすれば、導入部の演出は、
飛脚問屋での気まじめに業務に取り組む忠兵衛として描いた方がよいのではないか。
遊郭へはその息抜きから、そして梅川に出会い一途に恋をしてしまう。

弁護士でも、依頼者の預かり金を横領するケースなどがあり、
私も弁護士会の会務の職責上、
現実に弁護士資格のはく奪や刑事被告人として墜ちて行く人をみてきている。
それらの人たちはいつからか、その経緯の中では何度かある
後戻りできるきっかけをつかめず、
一つ一つハードルが落ちて大事に至ってしまう。

もちろん現実の世界は、
近松の世界のように背景が美しい愛情で支えられているわけではない。

しかし、あくまでステージの上のリアリティということからすれば、
初めから遊び人風でない方が一人の観客としての納得感がある。

それはそれとして、壮は順調にトップになったわけではない。
しかしその苦労を演技の厚み、深みに変えて成長してきた
安心できるトップである。
すでに退団を発表し、それが宝塚の常とはいえ、
和物をこれだけ演じることのできるトップを失うことは
本当にさびしいものである。
この作品はたくさんある壮の舞台にまた一つ傑作として加えられるであろう。

壮のこれからの活躍を期待したい。

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