2007年05月14日

ベトナムに行って来ました 5月10日~13日

ベトナムに行って来ました 5月10日~13日

◇12年ぶりのホーチミン◇
◆今回は、平成17年度の東京弁護士会の理事者の懇親・視察の旅行でしたが、日本ベトナム友好法律家協会の青山学会長が同行され、諸施設の見学も行うことが出来ました。
 私は、今から12年前に社団法人金融財政事情研究会の経済人を中心とした投資状況視察のミッションに同行して以来12年ぶり2度目のベトナムでした。先回はホーチミンとハノイの双方を回りましたが、今回はホーチミンだけの短い旅でした。先回は街に多かったシクロや自転車に変わって、増えた車特にバイクの量と交通事情に圧倒されました。

◆昨年3月には、東京弁護士会の会長を中心とした同じメンバーが国際交流委員会の正式訪問団として上海弁護士協会を訪問しています。

◇SULECO(スレコ)◇
◆今回訪れた施設の一つに日本・韓国等に人材を派遣する事を目的とするSULECOと呼ばれる国営会社があります。ホーチミン市の労働福祉省の管轄のもとに1995年に設立され、
現在まで、4000人の研修生を日本に派遣しています。現在も約1000人の研修生が日本の20の受け入れ組合を通して各企業で、研修・技能実習をしています。但し、期間は3年間、日本での実習が終わるとベトナムに必ず戻るというしくみで、日本での長期の年月にわたる永住は認められていません。
◆私達訪問団は熱烈歓迎を受け、日本市場部・副部長のトゥイさんの通訳と案内で、チャン・ゴク・ニン社長との懇談し、併設された派遣労働業務実務学校の12~15人クラスに分かれた日本語研修クラスの授業やテストの状況、ミシンの縫製作業や、溶接等の実習の様子を見せていただきました。1万2000㎡の敷地にある全寮制のこの学校で、日本語、日本の法律や習慣を学び、学校の選抜と日本の企業団体の面接に合格すれば、研修生として日本に来ることになります。ちょうど日本から採用面接に来ていた会社の方達からもこの制度の運用状況について日本側の利用者からのお話を現地で聞く機会を持つことができました。
◆ベトナムに限らず、ASEAN諸国は農産物や人材派遣について日本に一層の開放を求めています。20倍近い賃金格差や、日本の労働力不足の問題を解消するために、人権にも配慮しつつ、双方の国と関与する当事者にとってそれなりの寄与がもたらされ、かつ友好が推進されるしくみを多くの課題を乗り越えて現実的に解決されていく必要があると感じました。
◆私達の案内を担当してくれたトゥイさんはまだ20代の若さながら、14人の日本部門スタッフのナンバー2で、明るく有能で官僚臭の全くしない親しみやすい方です。日本にも何度も来ているとのこと。昼食をご一緒したチャン・チュン・ヂュン労働省副局長も気さくな方でした。

◇VILAF◇
◆ベトナム最大という規模の法律事務所を訪問しました。金融関係の業務が中心と言うことで、ホーチミン事務所は弁護士数約20名。クリフォード・チャンスが、2000年にベトナムオフィスを閉鎖しVALIFのホーチミン事務所と提携したとのことです。半数の10人くらいが米、欧、豪で研修済み、日本の企業の仕事はあるが、比率はそう多くないとのこと。外国企業向け案内のパンフレットと言うよりは114ページ及ぶ宣伝本(英文のみ)を頂きました。
◆ベトナムの弁護士事情。総数は約3500人。金融や経済事案を担当する弁護士は、VALIFを含めて全土で200人もいないとのこと。多くは刑事・民事・統治・家族の分野を担当しているとのこと。

◇クチのトンネル◇
◆ホーチミン市内から北西に車で約2時間。ベトナム戦争当時、昼間は米軍、夜は南ベトナム解放民族戦線の支配地域といわれた最大の激戦地区に全長250㎞と言われるトンネルがある。私達も観光で訪れ、約40mの短い距離ではあるが狭い通路をかがんで進んでみた。足腰の筋肉にかなりの負担。しかし、作戦本部の会議室、空気穴の設置、出入り口のカムフラージュ、落とし穴など、米軍を破った強さの一端をかいま見た。
◆1960年から1975年のベトナム戦争。ちょうど日本の学生運動の激しいときで、小田実のべ平連(ベトナムに平和を!市民連合)の運動などがあり、新宿西口には大勢の学生や市民が集まりフォークソングを歌った。そして激しい学園から街頭闘争へ。身を置いた者の一人として、今のベトナムの平和な経済復興を願わずにはいられない。戦争への道は決して歩いてはいけない。
◆トゥイさん。「私達若者の世代は戦争を知りません。大学を出て文科系の優秀な人に一番人気があるのは外資系の金融機関。理科系ではIT関連企業。給与がたかいからでしょうね。
文科系は、特に法律学部、経済学部とは分かれていません。法律も経済も一緒に学びます。」

◇市内観光◇
 ホーチミンの市内は、市場、旧大統領府、記念館など観るとことはたくさんある。料理は日本食が一番という私でも違和感なく毎日が過ごせる味で、非常にありがたい。物価も安いし、また機会があれば訪ねたい街である

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